祝の島
    祝の島(ほうりのしま)
    という映画を観ました。
    神戸の元町映画館という小さな手づくりの映画館で先週1週間毎日1回のみの上映でした。
    この映画館では、3.11の震災前にこの映画の上映を決めておられたそうで、満席で窮屈な状態になったことを詫びておられました。すてきな映画館でしたよ♪

    さて、この映画は山口県上関町の上関原発建設に28年間反対し続ける祝島の人々のドキュメンタリー映画です。

    私は今回の震災がきっかけで原子力発電のこと、エネルギーのこと、食のこと、住のこと、水のこと、つまりは生きることについてより深く考えることになりました。

    私が原発のことを知ったのはいつだったのかは、はっきりと覚えていません。
    けれど、原発ででるゴミの処理の仕方がわからない、決まっていないということを知った時の漠然とした嫌な感覚だけははっきりと覚えています。
    まだ子供だったと思うけれど、「どうやって片付けたらいいかわからないものを、作ってもだいじょうぶなの?」
    って思ったんだったなぁ。

    大人になってからも、ずっと心の奥にあったその釈然としない嫌な感覚。
    でも、原発はそこにあり、そのエネルギーの恩恵にあずかる生活をしている私。
    そしていつしか、そのことについて思考停止しちゃってた。

    まぁー、そのうちきっと安全な処理方法がみつかるんだろう、専門家に任せるしかないよー、私が考えてもどうにもなんないしー。って。

    チェルノブイリの事故のときも、あー怖いなぁ・・・でも日本はきっと大丈夫だよね!って思ってた。

    他人事。

    私がこんなだったから、今の世界はこんなになったんだ。

    3.11以降に進行し続けている原発事故にまつわる出来事を見続け、日本政府や東電の対応の不誠実さ、マスコミの偏った利権絡みの報道を知るにしたがって、これは全部私の責任でもあると思うようになった。
    (インターネットというツールがあるからこそ、知ることができる情報ばかりだけど)

    40年生きてきたなかで、見ようとしてこなかった現実。
    知ろうとしてこなかった自分。
    国がなんとかしてくれるってどこかで信じていた自分。

    結果的に、今の日本がある。

    東京電力だって政府だって、マスコミだって、同じ人間がやってるんだもん。
    誰のせいでもない、これまでの在り方を許してきたのはこの国に住んでいる私たちひとりひとりだ。


    一人一人はとっても小さくて無力に感じるけれど、その一人一人が集まって町があり、県があり、国があり、世界がある。
    だから、私は今までやってこなかった、知ろうとしてこなかったことを少しでも知りたいと思って、
    この映画を観に行った。

    反原発のメッセージ性の高い、ちょっぴりコワい映画かな?と思ってたけど
    実際はぜんぜん違った。

    世界中どこに行っても同じ人が生きる姿、
    そこにはただ人が生きる姿があったー。

    そこから何を感じるかは私たちひとりひとりに委ねられていると感じた。


    もっと、全体を知らなくては個を語れない。
    個を知らなければ、全体を語れない。きっとこうやって世界は循環しているんだな。

    思考停止すること、それは本当に生きることを放棄することなのかもしれないな。

    もっと全身全霊で真剣に生きなくちゃなー。







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